笑いの神様
2023.05.03
僕の好きな芸能人は、志村けんです。
志村けんは高校卒業後、ザ・ドリフターズのリーダーである、いかりや長介さんの家に行きドリフターズの弟子入りをお願いしました。
何度も断られましたが、志村けんは諦めずにお願いをしました。
すると、いかりや長介さんは(今空きがないんだよ空きが出たら連絡する。)といい、志村けんの電話番号を聞き、数日後いかりや長介さんから志村けんの家に電話が来て、いかりや長介さんが(後楽園ホールに今すぐ来い)といい、電話を切りました。
志村けんはすぐに、後楽園ホールに行っていかりや長介さんの部屋が見つかった後、いかりや長介さんは(ぼーやが一人逃げた。お前来るか?)と言いました。
すると、志村けんは(是非お願いします。なんなら来月高校の卒業式があるので4月から。)と言いましたが、いかりや長介さんは(何言ってるんだ明日からだよ。青森だ。)といい、志村けんは急いで準備をしました。
そして、ドリフターズが集まった後いかりや長介さんから(今日から一緒に働くぼーやだ。)と志村けんのことを紹介しました。
すると志村けんは(志村と申します。よろしくお願いします。)といい、いかりや長介さんはドリフのメンバーである加藤茶さんに向かって(加藤面倒見てやってくれ)と言いました。
こうして、志村けんのドリフターズの付き人が始まりました。
志村けんは付き人なので、ドリフターズがやっているコントを観ながら(こういう感じもあるんだー。)とメモをしてました。
そして、仕事が終わった後も志村けんは深夜までドリフについて勉強してました。
すると、数日後ドリフのメンバーの荒井注さんが抜けて志村けんが正式にドリフのメンバーに選ばれました。
そして、志村けんが正式に選ばれた後お父さんが病気で亡くなったので、志村けんは亡くなったお父さんを笑顔にするためにお母さんに電話で(芸名を志村けんにしてもいいかな?親父の名前貸してくれない?)と泣きながら頼みました。
そしたらお母さんは(いいよ。)と言いました。
それから、志村けんの夢が(日本中を笑いの渦に巻き込んでやる)になりました。
それから志村けんは、70歳で亡くなるまで、46年間いろんな個人での番組を作り、日本中に笑いを届け続けていました。
志村けんが好きな理由は、飽きないようなネタやアドリブを作ってくれるからです。
志村けんの大ファン。