ジュニアブログ

コンピューターゲームの歴史2

2019.07.11

1998年
1月8日 – ソニー・ミュージックエンタテインメント『グルーヴ地獄V』。テクノユニット電気グルーヴがプロデュースしたゲーム。自らゲームジャンルとして「クソゲー」を名乗る。
1月14日 – コンピュータエンターテインメントソフトウェア協会(CESA)、コンピュータソフトウェア著作権協会(ACCS)、日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(JPSA)が合同で「違法中古ゲームソフト撲滅キャンペーン」を開始する。
1月20日 – 公正取引委員会がソニー・コンピュータエンタテインメントに対して独占禁止法に基づく排除勧告を行う。ソニー・コンピュータエンタテインメントは応諾せず、審判手続へと移行した。[46]
1月30日 – 任天堂「スーパーゲームボーイ2」。ポケモン人気を反映してか、ゲームボーイポケット用の通信ケーブル端子を備えて発売された。本体色も、当時流行のスケルトンカラー(青)である。
3月27日 – 任天堂「スーパーファミコンジュニア」。スーパーファミコンのモデルチェンジ版。
4月6日 – セガ『バーチャファイター』。コンピュータソフトウェアとして歴史的な足跡を残したことを評価され、スミソニアン総合博物館に各種資料が保管されることになる。
4月14日 – テレビゲームビジネス協議会加盟各社によりテレビゲーム専門店協会が設立される。
5月 – 任天堂とハドソンが合弁で招布株式会社を設立。
9月3日 – コナミ『メタルギアソリッド』。世界戦略を最初から視野に入れたゲームソフトの先駆け。
10月21日 – 任天堂「ゲームボーイカラー」。
10月28日 – エス・エヌ・ケイ「ネオジオポケット」。ドリームキャストとの連動で話題になる。
11月27日 – セガ「ドリームキャスト」。湯川専務が出演する自虐的なCMで話題になる。
日本において中古ゲームソフトの販売を違法とみなし排除を目論むソフトメーカーと、中古ゲームソフト販売を求める小売店団体(テレビゲームソフトウェア流通協会)の対立が深刻化し、法廷闘争に発展した(中古ゲームソフト裁判)。
この年から日本ゲーム市場の利益が減収へとシフトしはじめる。以後、日本ではニンテンドーDSの記録的ブームとなる2006年まで売上本数や利益の減少、および市場の縮小が続く。

1999年
1月21日 – 任天堂『ニンテンドウオールスター!大乱闘スマッシュブラザーズ』。高いキャラクター性と対戦ゲーム性を両立した作品として話題となる。
2月11日 – スクウェア『ファイナルファンタジーVIII』。記録的な売り上げを達成し、スクウェアの経営方針転換のきっかけとなる。ただ「コンビニ限定販売」という流通方法に多くの課題も残した。
3月4日 – バンダイ「ワンダースワン」発売。
3月18日 – 『三國志III』のゲームデータ改造ツールを巡って争われた三國志III事件について、東京高裁は『三國志III』は著作権法上の「映画の著作物」に該当せず、そのゲームデータ改造ツールは著作権を侵害しないという判断を示す。[47]
3月19日 – SNK(旧社)「ネオジオポケットカラー」発売。
4月27日 – 『ときめきメモリアル』の改造済みセーブデータの入ったメモリーカードの販売を巡って争われたときめきメモリアルメモリーカード事件について、大阪高裁は『ときめきメモリアル』は著作権法上の「映画の著作物」に該当し、その改造済みセーブデータの入ったメモリーカードの販売は著作権を侵害するという判断を示す[48]。なお、2001年3月18日に控訴棄却により判決が確定した[49]。
7月15日 – スクウェア『聖剣伝説 LEGEND OF MANA』。高い売上記録を残すが、スクウェア内部では上記の『ファイナルファンタジーVIII』と比較して少ない売上だったことが指摘され、前年発売の『ゼノギアス』製作スタッフなどとともに『ファイナルファンタジー』偏重の流れ(FFシフト)に反発した社員の集団退社が起こりはじめる。
8月5日 – ナムコ『ソウルキャリバー』。アーケードゲームからの移植版としての制作期間が短かったにもかかわらず、ドリームキャストでも屈指の作品となり、日本国外でも売り上げを伸ばし、北米を中心にユーザーを獲得。世界での総売り上げ本数が100万本に達した。
8月23日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStationのエミュレータ「bleem!」の販売差し止めを求めていた訴訟で、サンフランシスコ連邦地裁が販売継続を認める判決を下す[50]。
9月 – 新声社の倒産により、『ゲーメスト』廃刊。ゲーメストスタッフの一部により、アスキー(現:エンターブレイン)から『アルカディア』創刊。
11月 – ナムコ、アーケードにて『ミスタードリラー』を発表。シンプルな原点回帰したゲームながらも好調な成績を収め、「軽薄短小」なシステムのゲームを見直すきっかけとなる。
11月 – 公正取引委員会が、ドリームキャストのハードとソフトの卸売を行っているセガの子会社セガ・ミューズを独占禁止法違反(再販売価格維持)容疑で立ち入り検査。セガは翌2000年7月に販売部門を自社に新設し、卸売業務を自社に移すことで摘発を免れた[51]。
12月 – ゲーム業界の老舗メーカーであるデータイーストが和議を申請し経営破綻。後、2003年6月に破産宣告。
12月11日 – 任天堂「64DD」。
日本コンピュータゲーム協会が発足。主にパソコン向けのコンピュータゲームを開発する企業による業界団体。

2000年
3月 – ハドソンがNTTドコモの携帯電話「iモード」向けにゲーム配信サービスを開始。
3月4日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation 2」を発売。
4月1日 – アスキーよりエンターブレインが分社。『ファミ通』などの出版事業を移管。
4月18日 – 日本で家庭用ゲームソフトを販売するフランチャイズチェーン本部と流通会社14社がTVゲームビジネス協議会を設立。「PlayStation 2」発売に際し、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation.comで一般流通より安い価格での直販を開始したことと、フランチャイズチェーン本部へのバックマージンを廃止したことに対する危機感が背景にあった[52]。なおTVゲームビジネス協議会は2002年4月にGRA(GAME RETAILERS ASSOCIATION)に名称を変更した[53]。
5月30日 – セガがドリームキャスト向けにゲーム配信サービス「ドリームライブラリ」を開始[54]。クラシックタイトルのダウンロード販売の先駆け。
6月15日 – 青少年の精神に悪影響を与えるからという理由で、中国政府が中国国内向けの外国製ゲーム機の製造・販売を禁止した[55][56]。
7月7日 – スクウェア『ファイナルファンタジーIX』。
8月3日 – セガがドリームキャスト用ソフトのレンタルを「TSUTAYA」において2000年9月30日から開始すると発表[57]。
8月22日 – 任天堂、『MOTHER3 豚王の最期』の開発を断念。後に再開され、『MOTHER3』のタイトルでゲームボーイアドバンス用ソフトとして発売されるが、当時はNINTENDO64向けに開発されていた。
8月24日 – ハドソン『ルーンジェイド』。コンシューマーゲーム初の本格MORPG[58]。
8月26日 – エニックス『ドラゴンクエストVII エデンの戦士たち』。出荷本数は400万本を超え、日本でのPlayStationソフトの歴代記録1位を樹立した。
9月20日~21日 – 第1回CEDECが開催される。
10月1日 – 日本において国立国会図書館法の一部を改正する法律が施行され、コンピュータゲームソフトを含むパッケージ系の電子出版物に納本義務が課せられた。
10月8日 – 韓国でeスポーツ大会「World Cyber Games」の第1回(World Cyber Games Challenge)が開催される[59]。
11月 – ハドソンがフランスのアンフォグラム社と合弁で「アンフォグラムハドソン株式会社」を設立。
12月19日 – バンダイ「ワンダースワンカラー」発売。
12月21日 – ハドソン『ボンバーマンランド』。ボンバーマンシリーズ15周年を記念したタイトル。以後「ボンバーマンランド」シリーズとしてシリーズ化もされた。
Blizzard Entertainment社『DIABLO2』。以後のゲームに影響を及ぼした要素が多数散見される。

2001年
1月26日 – NTTドコモがJava機能「iアプリ」搭載携帯電話「503i」シリーズを発売。日本において携帯電話上で動作するコンピュータゲームの市場が生まれる。
1月 – ハドソンが「503i」シリーズの発売に合わせて、iアプリ対応コンテンツサービスを開始。
3月21日 – 任天堂「ゲームボーイアドバンス」。
3月21日 – ハドソン『ピノビィーの大冒険』。セガから独立した大島直人がアートゥーンを設立後、初めて開発したソフト。
3月27日 – ゲームソフト販売店チェーン・カメレオンクラブを展開する株式会社上昇に中古ソフトの販売中止を要求したため権利不存在確認訴訟を起こされたエニックスに対し、東京高裁は控訴を棄却。[60]さらに3月29日にはカプコン、コナミ、スクウェア、ナムコ、ソニー・コンピュータエンタテインメント、セガの6社によるテレビゲームソフトウェア流通協会加盟会社への訴訟において、大阪高裁が小売側勝訴の判決を下す。[61]これらにより、日本における中古ゲームソフト売買が合法であるというコンセンサスが出来上がる。
3月31日 – セガが「ドリームキャスト」の製造を打ち切り、ハード事業から完全撤退。
4月2日 – エス・エヌ・ケイが民事再生法を申請(10月31日に破産宣告)。エス・エヌ・ケイが開発したゲームの版権は、10月30日の入札でSNKプレイモアが落札。
7月19日 – スクウェア『ファイナルファンタジーX』。
8月1日 – 公正取引委員会がソニー・コンピュータエンタテインメントに対し、「PlayStation」ソフトウェア販売に関する独禁法違反(再販売価格維持)について排除措置命令を審決。[62]
9月14日 – 任天堂「ニンテンドーゲームキューブ」。
11月15日(日本は2002年2月22日、欧州は2002年3月14日) – マイクロソフト「Xbox」。Xbox Liveが開始。
『ファイアーエムブレム』の類似作品であるとして任天堂より警告を受けていた発売予定ソフト『エムブレムサーガ』(当初名称)が『ティアリングサーガ』とタイトルを変えて発売されたことに対し、発売元であるエンターブレインなどを相手取り、任天堂などが著作権と不正競争防止法に関する訴訟を起こす。詳細はファイアーエムブレムを参照。
コナミによるプロ野球のゲーム化権利や音楽ゲームの特許の独占、他社製品名による登録商標の申請が問題となる。プロ野球のゲーム化権利については、他社製野球ゲームへの再許諾を遅延させるなどの行為が行われ、後に公正取引委員会より独占禁止法に基づく警告を受けた[63]。

2002年
2月 – 日本テレビゲーム商業組合結成。かねてより乱立状態にあったゲームソフト販売店関係団体の統合が果たされる。
4月25日 – 最高裁が中古ゲームソフト売買を合法と判断。日本における中古ゲームソフトを巡るゲームソフトメーカーと小売業者間の法廷闘争が終結。[64]
4月25日 – ドイツでエアフルト事件が発生。犯人の少年が『カウンターストライク』に耽溺していたことから、暴力的な内容のコンピュータゲームの規制を強化する動きが起き、青少年保護法の制定とソフトウェア事前審査機構(USK)の設置に繋がった[65]。
5月16日 – スクウェア『ファイナルファンタジーXI』サービス開始。コンシューマゲーム初の本格MMORPG。
6月 – 日本においてコンピュータエンターテインメントレーティング機構(CERO)が発足し、同年10月から活動を開始。これ以後の日本の家庭用ゲーム機用ソフトは対象年齢などのレイティング審査が課せられるようになる。
7月 – ギリシャにおいて全てのコンピューターゲームの所持・利用を禁止する法律(ギリシャ法第3037号)が制定される(2004年廃止)。
7月 – 森昭雄が『ゲーム脳の恐怖』(NHK出版)を出版。
7月12日 – バンダイ「スワンクリスタル」。
8月12日 – セガがPC用ゲームソフトのオンライン・レンタルシステム「B-CLUB」をISP向けに開始[66]。
10月24日 – ハドソン『ボンバーマンジェッターズ〜伝説のボンバーマン〜』。ゲームのストーリーがテレビアニメ『ボンバーマンジェッターズ』の1話から2話のインターバルを補完するという、ゲーム業界初の試みがなされている[67]。
10月30日 – 欧州において任天堂と現地ディストリビュータ7社がゲーム機とゲームソフトの並行輸入を妨害したとして、欧州委員会が任天堂らに対し合計1億6780万ユーロの課徴金を決定。そのうち首謀者と認定された任天堂に課せられたのは1億4912万8千ユーロ[68]。
11月21日 – 任天堂『ポケットモンスター ルビー・サファイア』。記録的な売り上げを出す。これを機に、ポケモンの関連商品の販売などを行う事業を『ポケモン』という略称をそのまま使って社名にし、分社化(株式会社ポケモン)。
日本のゲーム市場が前年比で1000億円近い減収となり、日本における市場縮小が顕著化し始める(ゲーム離れ)。同時期の欧米市場は大規模な拡大を見せるとともに欧米製ソフトが市場に普及、日本の世界シェアが著しく低下する。

2003年
1月21日 – セガ『甲虫王者ムシキング』。昆虫相撲とトレーディングカードをゲームに取り入れ、子供達に人気を博した。
2月14日 – 任天堂「ゲームボーイアドバンスSP」。
3月13日 – スクウェア『ファイナルファンタジーX-2』。
スクウェアが任天堂との対立関係を解消する。同社は任天堂系ハードにおける、ソフト供給を再開する。
4月1日 – スクウェアとエニックスが合併、スクウェア・エニックスとなる。
4月 – 任天堂『MOTHER3』の開発中止を撤回。
9月12日 – Valveが「Steam」クライアントの初版を公開。[69]当時のSteamはオンラインゲームの更新用プラットフォームであった。
9月30日 – 任天堂、「ファミリーコンピュータ」「スーパーファミコン」の生産およびディスクカード書き換えサービスを終了。
11月26日 – コンビニエンスストアへのゲーム流通を確立させたデジキューブが破産し、解散。デジキューブ出版部門の一部は、スクウェア・エニックス出版部門に、著作権とともに吸収される。
汎欧州ゲーム情報(PEGI)が設立される。欧州におけるコンピュータゲームのレイティング審査機関。
日本における市場規模が5000億円を下回る。

2004年
2月14日 – 任天堂が、ファミコン生誕20周年企画として、『ファミコンミニ』シリーズ(過去の名作ファミコンソフト)をゲームボーイアドバンスで完全復刻。
E3にて任天堂がそれまでの非ゲームユーザーもターゲットとした新機軸の携帯ゲーム機「ニンテンドーDS」を発表。同イベントにてソニー・コンピュータエンタテインメントは「PlayStation Portable」を発表し、任天堂のゲームボーイアドバンスの牙城に挑もうとする。
9月21日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation Portable」の重大な発表をすることをこの日に予告。しかし同日に任天堂が対抗するような形で「ニンテンドーDS」の発売日と価格を発表し、ソニーの発表会は予定より遅れて開始され有耶無耶のまま終了する(空白の17分間)。
10月1日 – セガとサミーが経営統合、セガサミーホールディングス設立。
11月21日(日本では12月2日) – 任天堂「ニンテンドーDS」発売。
11月27日 – スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストVIII 空と海と大地と呪われし姫君』。360万本を超える本数を販売、PlayStation 2用ソフトとして日本国内1位の記録を樹立。
12月12日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Portable」(PSP)。DSとともに年末に発売され、携帯ゲーム機戦争として年末商戦の話題となる。ちなみにPSPは任天堂以外の他社製の携帯ゲーム機で最初から完全カラー表示となるのはゲームギアから約14年振りとなる(PCエンジンGTはPCエンジンとの互換性があった。ネオジオポケットとワンダースワンはどちら共に最初はモノクロ表示であったが、後にカラー表示となってマイナーチェンジ版として発売をした)。
12月16日 – Valve『Half-Life 2』。Steamを介してダウンロード販売が行われ、Steamがゲーム配信プラットフォームとして成立する礎となる。

2005年
4月11日 – コナミがハドソンを傘下に。
4月14日 – ハドソン『天外魔境III NAMIDA』。元々はSUPER CD-ROM2用ソフトとして開発されていたが、1995年にアーケードカード用、PC-FX用と開発が移行した結果、一時開発が中断したが、最終的に当初の内容からは変更が見られるもののPlayStation2用ソフトとして発売された。
5月19日 – 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 脳を鍛える大人のDSトレーニング』。幅広い年齢層をターゲットとした作品。「脳トレ」ブームの火付け役となる。
6月 – Rockstar Games『グランド・セフト・オート・サンアンドレアス』のWindows版用Mod(性行為が可能なミニゲームに関するデータの封印を解除してプレイ可能にするもの)が発端となり、そのゲーム内容とレイティングがアメリカで大きな問題となる(「ホットコーヒー問題」)。
6月7日 – Rockstar Games『グランド・セフト・オートIII』(日本でのパブリッシャーはカプコン)が神奈川県に有害図書指定される[70]。
9月13日 – 任天堂「ゲームボーイミクロ」。
9月28日 – スクウェア・エニックスがタイトーを傘下に。
9月29日 – バンダイとナムコが経営統合、バンダイナムコホールディングス設立。
11月22日(日本では12月10日発売) – マイクロソフト「Xbox 360」。
12月29日- 任天堂『東北大学未来科学技術共同研究センター川島隆太教授監修 もっと脳を鍛える大人のDSトレーニング』。この作品の発売と正月商戦の相乗効果で任天堂の予測を超える爆発的な売上を記録し、翌年1月2日-3日頃には市場在庫を払底、深刻な供給不足に陥る。任天堂から異例の謝罪広告と増産体制構築のアナウンスが出されるが、半年経っても需要が供給を上回る状態が続いた。同様にニンテンドーDSが各メディアに取り上げられるなど社会現象化し、女性や中高年といった既存ゲームユーザー以外の消費者にも普及・浸透する。
Valveが「Steam」で他社タイトルの販売を開始。
新世代株式会社「Xavix PORT」。任天堂「Wii」「Wii Fit」の先駆け的存在。

2006年
1月19日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント『RULE of ROSE』。11月には欧州で発売されたが、EUの司法大臣フランコ・フラッティーニが作中における描写を「みだらで残酷」と評しPEGIのレーティングシステムの変更を求めたり、英国での発売がキャンセルされたりするなど、物議を醸した[71]。
3月2日 – 任天堂「ニンテンドーDS Lite」。
3月16日 – スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXII』。
3月31日 – コナミグループ再編に伴い、ゲーム部門をコナミデジタルエンタテインメントとして分社化。ナムコがバンダイの家庭用ゲーム事業を譲受し、バンダイナムコゲームスへ商号変更。
4月20日 – 任天堂『MOTHER3』。任天堂ゲームとしてでは発表から発売まで最も時間がかかったゲーム(約12年間)となる。(その次は『星のカービィ Wii』の約11年間。)シリーズ史上最高売上達成。
4月25日 – コーエーネットが家庭用ゲームソフトのレンタル事業「RentaNet」を発表[72]。RentaNetは5月から試験運用が行われたが、結局1年足らずで頓挫した[73]。
5月15日(日本では5月25日発売) – 任天堂『New スーパーマリオブラザーズ』。マリオの2Dアクションは『スーパーマリオランド2 6つの金貨』以来。
5月31日 – CEROのレーティングが4区分から5区分に細分化される。各区分にアルファベットが付与され、旧来の「18歳以上対象」が「D(17歳以上)」と「Z(18歳以上のみ対象」に2分割され、Z区分の商品は新品・中古品ともに18歳未満の者に販売しないこととされた[74]。
11月11日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本・米国で「PlayStation 3」(PS3)を発売。発売当初は品薄が続いた。PS3の発売に合わせ、オンラインサービス「PlayStation Network」(PLAYSTATION Network)も開始される。
任天堂、ゲームボーイアドバンスおよびゲームキューブのハード・ソフト開発が終了。
11月19日(日本では12月2日発売) – 任天堂「Wii」。2006年末までの販売台数は98万9118台に達し、一気にライバル「PS3」を追い越す。
12月12日 – スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』をニンテンドーDSで発売することを発表。ドラクエのナンバリング作が約10年ぶりに任天堂プラットフォームに復帰。かつ、初の携帯ゲーム機進出。一部メディアが「ドラクエが任天堂に戻ってきた」と報じる。
「ニンテンドーDS Lite」のハードおよびソフトが人気となり、長期・過度の品不足状態が続く。
国内ゲーム市場規模が1997年の5,332億円以来、過去最高の6,285億円に更新[75]。

2007年
PS3、1月初頭までに日本と米国でそれぞれ100万台出荷したが、「Wii」が発売されると日本では高性能ゲーム機は一部のコアユーザーにしか受け入れられず需要が急落し品薄状態から一転、在庫を抱える店が増えた。一方「Wii」の品薄状態はこの後半年ほど続いた。なお旧型PS2にも販売台数が及ばない時期が続いた。
2月22日 – カプコン『モンスターハンターポータブル 2nd』。日本国内でPSP初のミリオンセラーを達成。2005年12月に発売されて以後売れ続けていた前作『モンスターハンター ポータブル』とともに日本におけるPSPへのカンフル剤となる。
6月29日 – アップルがアメリカで「iPhone」を発売[76]。
7月5日 – マイクロソフトが「Xbox 360」の不具合について、購入日からの無償保証期間を3年に延長。修理費用として10億5000万~11億5000万米ドルを2007年4月~6月期決算に計上した。[77]
9月20日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PSP「PSP-2000」。発売から2ヶ月で100万台を達成。
9月28日 – セガサターンおよびドリームキャストの修理サポート終了。
10月31日 – 任天堂の時価総額が10兆円突破し、日本3位(トヨタ、三菱UFJ FGに続く)となった。DSとWiiの好調から。
10月31日 – ファミリーコンピュータ、ディスクシステム、およびスーパーファミコンの修理サポート終了。
12月1日 – 任天堂『Wii Fit』。
12月2日 – アクティビジョンとヴィヴェンディ・ゲームズが合併し、アクティビジョン・ブリザードが誕生。世界最大のゲームソフト会社となる。
ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)大手のFacebookがアプリケーション開発用のAPI「Facebook Platform」を提供。後の「ソーシャルゲーム」の基礎となる。

2008年
1月22日 – 「Wii」の日本国内における累計販売台数が500万台を突破。PS2を抜き、家庭用ゲーム機最速の60週で達成。
1月31日 – 任天堂『大乱闘スマッシュブラザーズX』。
2月19日 – マイクロソフト、インテル、AMD、NVIDIAによってPC Game Allianceが設立。
3月19日 – ハドソン『DECA SPORTA Wiiでスポーツ”10″種目!』。2008年9月時点で世界100万本を突破し、シリーズ化もされた。
3月25日 – Wiiオリジナルソフトオンライン販売『Wiiウェア』のサービス開始。
3月27日 – カプコン『モンスターハンターポータブル 2nd G』。わずか1ヶ月で200万本以上を売り上げ、後述の『モンスターハンターポータブル 3rd』発売までPSPで最も売れたソフトであった[78]。
4月10日 – 任天堂『マリオカートWii』。世界で最も売れたレースゲーム作品。
7月11日 – アップル「App Store」開始。
10月23日 – Google「Android Market」(現・Google Play)開始。
10月16日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PSP「PSP-3000」。携帯機器でも最高クラスの液晶ディスプレイを搭載。
11月1日 – 任天堂「ニンテンドーDSi」。画面を拡大、カメラ・SDカードスロット搭載。
12月10日 – スクウェア・エニックスが『ドラゴンクエストX』をWiiで発売することを発表。異例の前作(『DQ9』)発売前の新作発表。

2009年
2月12日 – ミッドウェイゲームズが倒産。
3月6日 – 世界全体におけるニンテンドーDSシリーズの累計販売台数が1億台を突破。
3月23日 – Zeebo「Zeebo」を発表。ブラジル資本による新興国向けの安価なゲーム機で、携帯電話の部品をベースに作られており、ゲームソフトは3Gネットワークを利用しオンラインで販売された[79]。しかし2011年には販売が終了した[80]。
5月17日 – Mojang『Minecraft』クラシック版。
6月3日 – E3にてPSPの新モデル「PlayStation Portable go」を発表。外見とともにUMDを廃止しソフトウェアはオンライン販売のみであるなど、概要が公表される。
E3にて、ソニー・コンピュータエンタテインメントがPS3に「PlayStation Move」、マイクロソフトがXbox 360に「Natal(後のKinect)」という新インターフェイスの導入を発表。Wiiへの対抗を見せる。また、任天堂は「Wiiバイタリティセンサー」を発表(しかし開発に躓き商品化されず)。
7月11日 – スクウェア・エニックス『ドラゴンクエストIX 星空の守り人』。『ドラゴンクエストシリーズ』で日本国内最多の売上本数を記録する。また搭載された「すれちがい通信」機能を使った遊びが注目された[81]。
8月19日~23日 – コンピュータゲームの見本市であるgamescomの第1回がドイツのケルンで開催される。
9月3日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント、新型PS3「CECH-2000」発売。従来モデルの問題点だったサイズや価格を改善し、販売台数を持ち直す。
10月27日 – Riot Games『League of Legends』運営開始。
11月1日(北米では10月1日発売) – ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Portable go」。
11月21日 – 任天堂「ニンテンドーDSi LL」。それまでの携帯ゲーム機の流れとは異なる「大型化・大画面化」。
12月3日 – 任天堂『New スーパーマリオブラザーズ Wii』。日本国内市場におけるWiiの勢いを取り戻す大ヒットとなる。
12月10日 – サン電子が2007年に経営破綻した日本テレネットが開発したゲームの版権を取得。
12月11日 – Rovio Entertainment『Angry Birds』がApp Storeで販売開始。翌2010年に世界的大ヒットとなる。
12月17日 – スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXIII』。
成長を続けてきた北米ゲーム市場が減収となる。

2010年
2月17日 – 主にケイブのアーケードゲームの販社であったエイエムアイが倒産[82]。
3月23日 – 任天堂「ニンテンドー3DS」を同年のE3で公開すると発表。
4月1日 – テクモがコーエーに吸収合併され、コーエーテクモゲームス設立。
4月3日 – アップルがタブレット型コンピュータ「iPad」を米国で発売。これをきっかけにタブレット型端末の普及が進み、モバイル端末向けゲーム市場が拡大する。
4月27日 – 梅原大吾が日本人としては初のMadCatzからプロ契約を締結しプロゲーマー(プロ格闘ゲーマー)となった。
6月15〜17日(北米時間) – E3にて、任天堂「ニンテンドー3DS」、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Move」、マイクロソフト「Kinect」の実物がそれぞれ出展・展示される。
9月15日(欧州時間。北米では9月17日、日本では10月21日発売) – ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation 3」の新インターフェイス「PlayStation Move」。
9月18日 – 任天堂『ポケットモンスター ブラック・ホワイト』。日本ゲーム史上における最多の初動売上を記録(ただし、この記録は2本合計の記録であり、1本としての記録は変わっていない)。
9月30日 – スクウェア・エニックス『ファイナルファンタジーXIV』。シリーズとしては初めてコンシューマゲーム版ではなくWindows版が先行して発売される。
10月26日 – パナソニック「The Jungle」の開発が中止。
11月4日(日本では11月20日発売) – マイクロソフト、「Xbox 360」の新インターフェイス「Kinect」。
12月1日 – カプコン『モンスターハンターポータブル 3rd』。わずか2ヶ月で前作を超える売り上げ[78]となり、2011年2月末には日本のサードパーティーで最も売れたゲームソフトとなる。
世界市場の50%を占めていた日本市場は10%にまで低下した[83]。

2011年
1月27日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント「NGP(後の「PlayStation Vita」)」と「PlayStation Suite」(現・PlayStation Mobile)を発表。
2月13日 – 『Sid Meier’s Civilization IV』「Baba Yetu」がゲーム音楽史上初となるグラミー賞(第53回グラミー賞)を受賞[84]。
2月26日 – 任天堂「ニンテンドー3DS」発売。
3月9日 – マイクロソフト「Kinect」の世界販売台数が1000万台を超えたことと、「世界最速で1000万台を販売した家庭用電化製品端末」としてギネス・ワールド・レコーズに認定されたことを発表。
4月1日 – ハドソンがコナミの完全子会社となる。
4月 – 17〜19日にかけて、PlayStation Networkで大規模なクラッキングおよびそれによる大量の個人情報流出が起き、21日から同サービスを停止し、再開まで1ヶ月強を要した。被害対象が7000万人を超える史上最悪の個人情報流出事件となる(PlayStation Network個人情報流出事件)。
4月25日 – 任天堂「Wii」の後継機となるゲームハード(後の「Wii U」)を同年のE3で公開すると発表。
6月 – コンピュータゲームの実況プレイを専門でライブストリーミングするウェブサービス「Twitch」が「Justin.tv」(2007年サービス開始)から分離する形で始まる。
6月2日 – ハドソン『数独と3つのパズル~ニコリのパズルバラエティ~』。同社が最後にリリースしたコンシューマーゲームタイトル。
6月7〜9日(北米時間) – E3にて、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Vita」の正式名称・価格などを発表。任天堂「Wii U」の名称および仕様を発表するとともに実物を展示する。
8月11日 – 任天堂「ニンテンドー3DS」の定価を日本で1万円値下げ(後に海外市場でも順次値下げされる)。
8月25日 – カプコン『モンスターハンター ポータブル 3rd HD Ver.』。既存のソニーのゲームハード作品を「PlayStation 3」用にHD(高解析度画像)用にリマスターした作品(PSPリマスター)の第1作目。
12月6日 – TCG業界からの新規参入であるブシロードがソーシャルゲームサービス『ブシモ』の正式運用を開始。最初のタイトルは『BOUND MONSTERS(バウンドモンスターズ)』と『恋愛リプレイ』。
12月17日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation Vita」発売(任天堂以外の同じ他社製のハードメーカーで次世代型携帯ゲーム機が発売されたのはこれが初めて。ネオジオポケットとワンダースワンは最初はモノクロ表示であったが、後にカラー表示化をしたマイナーチェンジ版が発売をした)。
「Wii」の日本市場における年間の本体販売台数が全盛期(2007年)の3分の1未満にまで減少し、次世代機への世代交代を待たずに競合相手の「PlayStation 3」に年間の本体販売におけるトップシェアを奪われる。[85]

2012年
1月 – 任天堂『Wii Fit』と『Wii Fit Plus』の合計が「世界一売れた体重計」としてギネス・ワールド・レコーズに認定される。
2月20日 – ガンホー・オンライン・エンターテイメントから『パズル&ドラゴンズ』が配信開始。
3月1日 – ハドソンがコナミグループに合併吸収された。
3月5日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントから『風ノ旅ビト』(thatgamecompany)。
4月1日 – チュンソフトがスパイクを吸収合併しスパイク・チュンソフトを発足。
4月26日 – 任天堂が2012年3月期通期連結決算を発表。最終損益が432億円の赤字となり、1962年の上場以来で初めて赤字に転落した。[86]
5月5日 – ソーシャルゲームの「コンプリートガチャ」について消費者庁が景品表示法違反とする方針である旨を読売新聞が報道。これを受けて5月9日にはグリーとディー・エヌ・エーがソーシャルゲーム内でのコンプガチャを終了する方針を発表。5月25日にはNHN Japan(当時)、グリー、サイバーエージェント、ディー・エヌ・エー、ドワンゴ、ミクシィから成る6社協議会が「コンプリートガチャガイドライン」を発表した。[87]
7月2日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントがクラウドゲーミングサービスGaikaiを買収。
7月3日 – LINEがプラットフォーム化。
7月10日 – 米国クラウドファンディングサイトKickstarterにてAndroid家庭用ゲーム機「OUYA」プロジェクトが発表され、記録的な資金を獲得し話題となる。以後新興ベンチャー企業によるAndroidゲーム機の発表が相次ぐ。
7月28日 – 任天堂「ニンテンドー3DS LL」発売。
8月 – Kickstarterにてヘッドマウントディスプレイ「Oculus Rift」が発表。
9月20日 – 「世界初のWi-Fiクラウドゲーム機」としてブロードメディア「G-cluster」を発表。
11月8日 – ソーシャルゲームの自主規制、青少年等への啓発、カスタマーサポート品質向上のための活動を行う業界団体「一般社団法人ソーシャルゲーム協会」(JASGA)の発足が発表される。[88]
11月18日 – 任天堂が北米で「Wii U」を発売(欧州は11月30日、日本は12月8日)。
12月7日 – 任天堂がカナダで「Wii」の廉価版モデル「Wii Mini」を発売(2013年5月には欧州、2013年11月には米国でも発売)。
12月20日 – THQが倒産。
テンセントのゲーム部門の売上高がエレクトロニック・アーツやアクティビジョン・ブリザードを抜き、世界一となった[89]。

2013年
1月7日 – CES 2013にてGPUメーカーNVIDIAがAndroid搭載の携帯型ゲーム機「Project SHIELD」を発表。同じくCESにてSteamを運営するValveが同社のリビング向けSteam専用ゲーミングPC規格「Steam Box」(「Steam Machine」)に準ずる小型機「Piston」を発表。
2月21日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが「PlayStation 4」を発表。Twitter、Facebook、Ustream、Twitch等のソーシャル・ネットワーキング・サービスや動画共有サイトとの連携の強化を謳った。
3月22日 – テンセントがEpic Gamesを傘下に置く[90]。
5月13日 – ガンホー・オンライン・エンターテイメントの時価総額が1兆5455億円に達し、一時的に任天堂を上回った。
5月21日 – マイクロソフトが「Xbox One」を発表。Kinectを標準装備し、スマートテレビ機能の強化を謳った。
6月 – エドワード・スノーデンがアメリカ政府機関によるインターネット上での情報収集工作活動をマスメディアに暴露。これをきっかけとして、マイクロソフト、Yahoo!、Google、Facebook、PalTalk、YouTube、Skype、AOL、AppleなどのIT企業が情報収集工作活動に協力していたことが判明。
6月10日 – E3に際して開催されたプレスカンファレンスにおいて、マイクロソフトが「Xbox One」の価格を発表。続いてソニー・コンピュータエンタテインメントがPlayStation 4の本体デザインと価格を発表するとともに、PlayStation 4用パッケージソフトウェアの中古流通承認・DRMの不適用を発表。
6月19日 – マイクロソフトが「Xbox One」のパッケージソフトウェアに適用すると発表していたDRMを撤回。
6月25日 – 北米・英国小売店にて「OUYA」の販売が開始される。
6月27日 – インデックスが民事再生手続を申請。のち、11月1日付けでセガの100%子会社であるインデックス(セガドリームより社名変更、のちアトラス)に「アトラス」ブランドを含む大半の事業を譲渡。
7月 – 『League of Legends』のゲーマーが米政府からスポーツ選手と認定された[91]。
7月11日 – レベルファイブが『妖怪ウォッチ』を発売。
7月31日 – NVIDIAが北米で「SHIELD」の販売を開始。
9月17日 – Rockstar Games『Grand Theft Auto V』。「24時間で最も売れたビデオゲーム」としてギネス世界記録を樹立。
9月24日 ^ マイクロソフトが中国のIPテレビ会社である百視通新媒体と合弁会社上海百家合情報技術発展を設立し、中国でのゲーム機の生産・販売解禁に向けて準備を始める[56]。
10月10日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation Vita」の新型モデル「PCH-2000」を発売。
10月12日 – 任天堂が北米・欧州・豪州で「ニンテンドー3DS」の廉価版モデル「ニンテンドー2DS」を発売。
10月17日 – マイクロソフトが「Xbox 360」の全世界での販売数が2013年9月で8000万台に到達したと発表。[92]
10月22日 – 任天堂が「Wii」の生産終了を発表。[93]
10月26日 – ソフトバンクが、フィンランドを拠点とするモバイル端末向けゲーム事業大手のSupercell社を15.3億ドルで買収すると発表。[94]
10月31日 – ValveがSteamのユーザー登録数が6500万人を突破(前年比30%増)したと発表。
11月14日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本で「PlayStation Vita TV」を発売。
11月15日 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが北米で「PlayStation 4」を発売(欧州主要国、豪州等は11月29日)。
11月22日 – マイクロソフトが北米・欧州主要国・豪州で「Xbox One」を発売。
12月9日 – アメリカ国家安全保障局(NSA)が少なくとも2006年頃からオンラインゲームの盗聴を行っていたことをThe New York Timesが報道。[95]
12月13日 – ValveがSteamOSのベータ版を公開。
国際年齢評価連合が設立された。

今日はここまで

byマリオオタク

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