みらせん3年間を振り返って
2022.02.11
中学3年生の時みらせんに入りました。
その時の作業は、ボルト作業・バインダー組付けをしていた事を覚えています。
まだ慣れない環境の中での作業でしたが、少しずつ働くことを学んでいきました。
令和になる時のインターンシップでは、バインダーを組み付ける会社に行きました。
実際に会社に行って仕事をすることは初めてであり、指示通り作業する事がとても大変でした。
でも、会社の方に挨拶をすることはとても大事だったので、そこは意識していました。
その他にも、チラシ折り・封入作業をしていました。
当時は、入試に向けての練習で、面接・国語・数学・作業テストなどをしていました。
入試結果は無事合格し、新しい学校生活が始まりました。
ちょうどその時、平成~令和になり、みらせんからも、鉄道友達、仲の良い友達が増えていきました。
この時コロナ前でもあり名古屋港へ友達と行きました。
高1のインターンシップは、お茶を作る工場へ行き、製造をすることを意識していきました。
令和元年で楽しかった事は、絵を描いたり、歌を歌ったりと楽しい思い出があります。
しかし、2年生の時、コロナウイルスでみらせんに行く事が少なくなりましたが、みらせんに行ったときは友達とのグループワークでの作業をしていました。
夏のインターンシップは、製造を選んでいました。
しかし、コロナで行けなくなってしまい、昆布を袋詰めする会社に行き仕事をしました。
そこでも、挨拶を意識して行い作業していきました。
その時、手早く作業することがとても大切だと知りました。
2回目は、メッキ作業をする会社で、インターンシップをしました。念願の製造で、手早く行う為に、タイマーを使って効率化を考えて行いました。
3年生は、現場実習・部活での大会などで、最後の1年間を過ごしたのでみらせんにほぼ行けなくなりました。
みらせんに久しぶりに来たのは、現場実習初日前だったので、挨拶練習を友達・先生のいる中で挨拶・面接練習しました。
実習後は、面接をメインに繰り返し練習をして、本番では緊張もありましたが、練習の成果が出ました。
その後のみらせんの作業は、就職先が、事務仕事なので、コピー印刷、在庫チェック、紙の裁断をしました。
あっという間に卒業でみらせんに入ったのが昨日のようにも感じて思うと、とてもさみしく思います。
社会に出ても、挨拶・返事、報・連・相を意識して頑張ります。
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