コンピューターゲームの歴史

1840年代
機械式計算機「階差機関」「解析機関」で知られるチャールズ・バベッジが、「トルコ人 (チェス)」というオートマタから着想を得て機械によるチェスのプレイに興味を抱き、最終的に三目並べを人間と対戦できる機械の構想を練るが、実現はしなかった。

1912年
スペインの技術者レオナルド・トーレス・ケベードが、歴史上最初のコンピュータゲームのひとつと呼ばれるチェス機械、エル・アヘドレシスタを作成した[1]。この機械はチェスの終盤のみを扱い白のキングとルークで人間側の黒のキングを詰ませようとするもので、内部の電気機械的な装置により盤面の状況を判断し駒の動きを決めることができ、人間側のキングの最初の位置がどこであってもチェックメイトすることができた。

1946年
アメリカの発明家ラルフ・ベアが、この年にはオシロスコープを使い、ピンポンゲームの様なもので遊んでいたと語っている。1947年
en:Thomas T. Goldsmith Jr.およびen:Estle Ray Mannによって、陰極線管娯楽装置がアナログ回路を用いて作成される。その名の通り陰極線管に映像を出力してインタラクティブに楽しめるコンピュータゲームとしては世界初のものであり、翌1948年に特許を取得した[2]が、この装置は市販されることはなかった[3]。

1950年代前半
Whirlwindで、「バウンシング・ボール(Bouncing Ball)」というゲームが動いていたとされ、何らかの形でコンピュータによるゲームが作られた最古の記録と言われる[4]。ただし、ゲームではなくボールがバウンドする様子を再現した一種のデモプログラムだったとする説もある。
日本に駐留するアメリカ軍の娯楽需要を目当てとして、日本にアミューズメント機器を輸入・販売・リースする会社が設立される。これらの会社にはセガの母体となった1951年設立のローゼン・エンタープライゼスやレメーヤー&スチュワート、1953年設立の太東貿易、1955年設立の中村製作所があり、のちに業務用コンピュータゲームに参入することになる[5]。

1950年
カナダで開催されたen:Canadian National Exhibitionにおいて、en:Josef Katesが『en:Bertie the Brain』というコンピュータゲームを展示した。三目並べで、人間(HUMAN BRAIN)が人工知能(ELECTRONIC BRAIN)と対戦するものであり、また難易度調節機能も搭載し、好評を博した。

1952年
ケンブリッジ大学のEDSACで、同大学の大学院生であったアレキサンダー・ダグラス(英語版)は、ディスプレイ画面を介してコンピュータと対戦する三目並べの 『OXO』 というプログラムを作成した(「Graphic Tic Tac Toe」とも呼ばれた)。EDSACシミュレータにより、現代でも動作可能である。ゲーム画面の記録が残っている初のビデオゲームとされる。1958年
アメリカの原爆開発協力機関の一つ、ブルックヘブン国立研究所のウィリアム・ヒギンボーサムがアナログコンピュータとオシロスコープを用いた「Tennis for Two」を製作。一般人がプレイしたことがほぼ確実な世界初のコンピュータゲーム。

1962年
マサチューセッツ工科大学の学生であったスティーブ・ラッセル(英語版)が「PDP-1」で『スペースウォー!』を発表。専用のコントロールボックスを備えた最初のコンピュータゲームとなった。このプログラムはアメリカ中の「PDP-1」に広がり、多数の派生版を生み出した[6]。

1963年
日本初のゲーム展示会「アミューズメントマシンショー」を開催。

1966年
ラルフ・ベアがそれまで特殊なディスプレイ装置にしか表示出来なかったゲーム映像を、家庭用のテレビ受像機に表示するアイデアを思いつく。彼は所属していたサンダース・アソシエイツ社にて試作品を作り始め、数種類の試作機を完成させる。数年後、同社から世界初の家庭用ゲーム機に関する特許の申請が行われた。

1969年
ベアが一般的なテレビ受像機に接続して数種類のゲームが遊べる「ブラウンボックス」を完成させるが製品化には至らなかった。

1971年
マイク・メイフィールド(Mike Mayfield)がミニコンピュータ「Sigma7(英語版)」用にアメリカのSFテレビドラマ『スタートレック(宇宙大作戦)』を題材とした『スタートレック (マイコンゲーム)』を制作。その後日米で多くのプログラマーによって移植・改良が続き、日本では1980年代初期まで人気定番ゲームの一つとなった。
ノーラン・ブッシュネルが『スペースウォー!』をヒントに世界初のアーケードゲーム版コンピュータゲーム『コンピュータースペース』を製作・発売したが、操作が難しく人気が出なかった[4]。

1972年
ラルフ・ベアがマグナボックス社から世界初の家庭用ゲーム機「オデッセイ」を発売。最初の1年間で10万台が販売されたが、大ヒットには至らず[4]。
ブッシュネルは「オデッセイ」に感銘を受けて5月にアタリ社(米)を創業し、「オデッセイ」のテーブルテニスをヒントにした『PONG』を11月に発売。商業的に成功した最初のゲーム。

1973年
『PONG』のコピーゲームとしてセガが『ポントロン』、タイトーが『エレポン』を発売[5]。日本初のコンピュータゲームとなる。
関西精機製作所が日本ビクターと協力、アミューズメントショーに『プレイトロン』を参考出品。曲線で構成された複雑なキャラクターをカラーで表示するという当時としては高度な技術を用いたものだったが、商品化されずに終わった。
アタリ『Space Race』 – 世界初のレースゲーム。
アタリ『ガッチャ』 – 世界初の迷路ゲーム。
『Maze War』 – ワイヤーフレーム表示の迷路で戦う3Dシューティング。通信対戦をサポート。FPSの原型。
アタリが日本法人アタリジャパンを設立。しかし経営不振でアタリジャパンは翌年中村製作所(ナムコ)に買収される。中村製作所はアタリジャパンを通じコンピュータゲームの技術を学んだ[5]。

1974年
『Spasim』 – ワイヤーフレーム表示の宇宙戦3Dシューティング。32人同時の通信対戦をサポート。
タイトー『スピードレース』 – 日本初のテレビゲーム式レースゲーム。

1975年
初のアドベンチャーゲーム『アドベンチャー』が登場。
初のコンピュータRPG『ダンジョン』が登場。
GI(General Instrument)社がTV製造用に開発したワンチップ・テレビゲーム専用LSIの外販を開始し、ゲーム機生産コストが驚異的に低下する[4]。
『PONG』を模したGI社製ワンチップ・テレビゲーム用LSIが秋葉原で入手可能となった。
9月 – エポック社『テレビテニス』発売。日本初の家庭用ゲーム機。マグナボックスとの技術提携に基づく[7]。販売数量は2万台程度に留まり、これを機にエポック社はNECとゲーム専用LSIの共同開発に乗り出し、日本国内の半導体メーカーがゲーム専用LSIに進出し始めることになる[5]。
アタリが『PONG』の家庭用である『ホーム・ポン』を開発。シアーズ・ローバック社に独占販売権を与え約15万台を販売する[4]。
ミッドウェイ『Gun Fight』。タイトーの「ウエスタンガン」のライセンスを受け再設計したもので、マイクロプロセッサ(Intel 8080)を搭載した初めてのアーケード用コンピュータゲーム機[8]。

1976年
フェアチャイルドセミコンダクター、世界初のロムカートリッジ式家庭用ゲーム機「Video Entertainment System(後にFairchild Channel F)」発売[4]。
アタリ『ブレイクアウト』 – 日本では『ブロックくずし』として知られ、多くの類似品が作られた。タイトーが1977年の『TTブロック』において開発したテーブル筐体により、喫茶店などの飲食店を中心に広く普及した[5]。また、このゲームの類似品により新日本企画、IPM、データイースト、日本物産、サン電子など多くのメーカーが業務用コンピュータゲーム製作・販売に参入し、日本のコンピュータゲーム業界の基盤が形成される一助ともなった[9]。
セガ『ヘビーウェイトチャンプ』。対戦格闘ゲームの先駆けとなる体感型アーケード版コンピュータゲーム。
マテル『Mattel Auto Race』。世界初の携帯型電子ゲーム機。
ワーナーがアタリを2800万ドルで買収[4]。

1977年
アタリ「Atari 2600(ATARI VCS)」をアメリカで発売。最終的にアメリカ全世帯の1/3を席巻する人気商品となる。
任天堂初の家庭用ゲーム機「テレビゲーム15(テレビゲーム6)」。
日本で様々なメーカーから夥しい種類の家庭用ゲーム機(主に『PONG』クローン)が発売される。大手電機メーカーでは松下電器産業が製造・販売に参入したほか、三菱電機、富士電機、沖電気工業が供給元となった[10]。
バリー「Bally Home Library Computer」(後に Bally Professional Arcade、Bally Astrocadeと改名)。
アップル「Apple II」。完成品として大量生産・大量販売された最初期の個人用コンピュータ。

1978年
3月 – ハドソンが日本で初めて、パソコン用パッケージゲームソフトの販売を開始。
4月 – 東芝「ビジコン」。日本初のマイクロプロセッサ搭載かつカートリッジ交換式家庭用ゲーム機だが原型はRCAの「Studio II」である[11]。
7月 – タイトー『スペースインベーダー』。全国各地にインベーダーハウスやインベーダー喫茶が乱立するなど大きな社会現象をまき起こしたが、一方で青少年のインベーダーをはじめとするゲームにまつわる非行・犯罪の増加やコピーゲームなどの違法行為が問題視され、ブームは1年ほどで終息した。[12]
すがやみつる作の『ゲームセンターあらし』が「コロコロコミック」で読み切りマンガとして掲載される。翌1979年から連載開始。コンピューターゲームとマンガのメディアミックスの走り。[13]
任天堂が『コンピューターオセロゲーム』で業務用コンピュータゲームに参入(任天堂レジャーシステム名義)。
エポック社「テレビ野球ゲーム」。NECが家庭用ゲーム機用に開発したマイクロプロセッサを搭載しており、野球を題材にした最初期のコンピュータゲーム[11]。

1979年
10月1日 – アクティビジョン設立。ゲーム機史上初のサードパーティーとしてゲームソフトを開発・販売した企業。
11月 – ナムコ『ギャラクシアン』。『スペースインベーダー』の人気が一段落した頃にポストインベーダーとして開発された[5]。敵の動きがキャラクター付けされているなど、『スペースインベーダー』を発展させたゲーム内容で大ブームになる。描画にスプライト方式を採用することにより複数のキャラクターを高速かつ滑らかに動作させることに成功しており、スプライト方式をコンピュータゲームの主流に押し上げコンピュータゲームのアイデアを多様化させるという技術的転換点となった[5]。
電気音響『平安京エイリアン』。「東大生が製作したゲーム」というふれこみでマスコミにも取り上げられ、話題となる。
『インベーダー攻略法――これであなたも10000点プレイヤー』(ヘラルド・エンタープライズ)。アーケードゲームで史上初の攻略本。[14]

1980年
5月22日 – ナムコ『パックマン』。日本をはじめ世界各国でヒットし、特にアメリカではアニメや音楽が制作されるなど、ポップカルチャー史に残るキャラクターとなる。
6月 – 日本物産『ムーンクレスタ』。『ギャラクシアン』のフォロワー。
ウィリアムス『ディフェンダー』。翌年の『スクランブル』と共に、初めてスクロールを本格的に使ったシューティングゲーム。
Origin Systems『ウルティマ』。『ウルティマオンライン』にいたる人気ロールプレイングゲームのシリーズ第1作。
シエラオンライン『ミステリーハウス』。世界初のグラフィックアドベンチャーゲーム。
ユニバーサル『Space Panic』。プラットフォーム・ゲームの先駆け(ただしプレイヤーキャラクターはジャンプ出来ない)[15]。
日本物産『クレイジー・クライマー』。プラットフォーム・ゲームの先駆け。
任天堂が「ゲーム&ウオッチ」を発売。LSIゲームがブームとなる。日本で最初に大ヒットして社会現象になった携帯ゲーム。このヒットで日本のコンピュータゲーム市場は業務用ゲームとLSIゲームに二分され、アメリカとは異なりカートリッジ交換式家庭用ゲーム機市場の立ち上がりが遅れた[5]。
任天堂がアメリカに現地法人Nintendo of America Inc.を設立[5]。
アタリ『バトルゾーン』。業務用としては初めての3Dシューティング。
マテル「インテレビジョン」[16]。
アタリの売上高が前年比の2倍の4億1500万ドル、営業利益が前年比の5倍の7700万ドルに達し、ワーナーグループ全体の営業利益の1/3を占めた[4]。

1981年
1月 – 日本アミューズメントマシン工業協会(JAMMA)が発足。
9月 – ナムコ『ギャラガ』。4年間に渡ってヒットしたギャラクシアンの続編。
10月 – 売上高の急増に生産が追い付かないアタリが、各販売代理店に翌年分の一括注文を要請。代理店は在庫切れを避けるために大量発注を行い、後年の市場崩壊の一因になる[4]。
11月 – アメリカでコンピュータゲーム雑誌『Computer Gaming World』が創刊される。
11月 – イギリスでコンピュータゲーム雑誌『Computer and Video Games』が創刊される。
アメリカでコンピュータゲーム雑誌『Electronic Games』が創刊される。
コナミ『スクランブル』。『グラディウス』(1985年)の原型となった横スクロールシューティングゲーム。
任天堂『レーダースコープ』。池上通信機と共同開発したアーケードゲームであったが、『ギャラクシアン』の影響を受けた技術偏重の開発姿勢と約100万円という高価格のため、多くの在庫を抱える[17]。この失敗をきっかけに任天堂は業務用コンピュータゲーム事業を縮小させ、手の空いた技術者たちが「ファミリーコンピュータ」の開発に携わる。
任天堂『ドンキーコング』。プレイヤーキャラクターがジャンプによって障害物を避けることができる初めてのプラットフォーム・ゲーム(アクションゲーム)[15]。『レーダースコープ』のハードウェアを再利用し製作された[17]。
『ローグ』。ローグライクゲームの始祖。TRPG『Dungeons & Dragons』をベースにした迷宮突破ゲーム。
Sir-Tech『ウィザードリィ』。初期のコンピュータロールプレイングゲーム。大ヒットしてその後も続編が登場し『ウルティマ』と双璧をなすシリーズとなる。
三立技研『ジャンピューター』。アーケード麻雀ゲームのシステムを確立。
エポック社「カセットビジョン」。
NEC「PC-6001」[18]。日本における初期のホビーパソコンの一つ。
アタリの売上高が10億ドル、利益が3億ドルに[4]。

1982年
3月 – アタリがAtari 2600版『パックマン』を発売。低品質な移植作品であっただけでなく、小売の水増し発注と需要予測の誤りの結果として当時のAtari 2600本体の稼働台数を何百万本も上回った数のゲームカートリッジをアタリが生産したこともあって大量の売れ残り在庫が生じ、アタリと消費者に回復しがたいインパクトを与えた[19][20]。
4月23日 – シンクレア「ZX Spectrum」。主にイギリスで人気を得たホビーパソコン。
6月3日 – 「ゲーム&ウオッチ」版『ドンキーコング』。LSIゲームの最多売上を記録。
8月 – コモドール「コモドール64」。優れた性能と高いコストパフォーマンスを誇るホビーパソコン。ゲームユーザーをターゲットにしたマーケッティング戦略により家庭用ゲーム機のシェアを奪い、アタリショックの原因のひとつとなった。
8月20日 – トミー「ぴゅう太」。ゲームパソコン、ホビーパソコン。
11月 – General Consumer Electronics「Vectrex」。ベクタースキャンを採用した。
12月 – シンキングラビット『倉庫番』。パズルゲーム。
12月6日 – タイトーが『スペースインベーダー パートII』の無断コピーをめぐり起こした訴訟において、東京地裁がコンピュータプログラムを著作権法上保護されるべき著作物として認める判決(「スペースインベーダー パートII事件」)[21]。
アタリ『E.T.』。史上最低のゲームとして名高い。高額のライセンス料・大量の売れ残り在庫により、アタリに大きな経済的損失を与え、翌1983年にアタリは赤字に転落、1984年には分割・売却されたため、アメリカのゲーム市場全体が停滞した。
アタリ「Atari 5200」。「Atari 2600」の後継機。高性能でソフトのクオリティも高かったが2600との互換性は持たず、アタリは5200の発売後も5200より2600に注力したこともあって失敗に終わった。
コレコ「コレコビジョン」。『ドンキーコング』のアーケード版にほぼ忠実な移植を実現するなど、当時としては高性能を誇った。このハードは1984年に生産終了となったものの、発売からそれまでの短い期間中に600万台以上を売り上げた。
エマーソン・ラジオ「Emerson Arcadia 2001」。
トミー『トミー3D』(翌年以降、『The Tomytronic Thundering Turbo 3D』)。トミー3D立体グラフィックゲーム・シリーズ。スコープ・双眼鏡型でディスプレイを2つ搭載し、3D立体表示可能な世界初の携帯ゲーム機。
Entex「アドベンチャービジョン」。ドットマトリックスLEDディスプレイを搭載した、ゲームソフト交換式の可搬型家庭用ゲーム機。
12月8日 – ワーナーがアタリの売上下降を理由に同年第4四半期の利益を下方修正し、翌9日にワーナーの株価が暴落する。アタリ社の売上は翌年の第1四半期にかけて急落した。いわゆるアタリショックの始まり[4]。
アタリハード向けソフト販売におけるアタリのシェアが前年の80%から56%に低下[4]。
1980年代前半の北米において家庭用ゲーム機市場の売上高が最大になる[4]。
アメリカでコンピュータゲーム雑誌『Electronic Fun with Computers & Games』、『JoyStik – How to Win at Video Games』、『Video Games』、『Video Games Player』、『Videogaming Illustrated』が創刊される[22]。

1983年
2月 – ナムコ『ゼビウス』。初の縦スクロールシューティングゲーム。さらにシューティングに謎に満ちたストーリーも取り入れたゲームとして知られる。
2月 – エニックス『ドアドア』。エニックスのゲームプログラムコンテスト応募作品。製作者は中村光一。
4月20日 – 公正取引委員会が、問屋団体「初心会」を介した任天堂「ゲーム&ウオッチ」の販売に関する独禁法違反(小売価格の拘束)について排除勧告を審決。[23]
5月10日 – アタリ「Atari 2800」で日本市場に参入。「Atari 2600」の日本仕様[10]。
6月27日 – アスキーとマイクロソフトがホビーパソコンの共通規格「MSX」を発表。主に日本の電気機器メーカー多数が参画しこれに基づくパソコンを製造。
7月4日 – トミー「ぴゅう太Jr.」。ぴゅう太の機能を削りゲーム機としたもの[10]。
7月15日 – セガ「SG-1000」「SC-3000」。
7月15日 – 任天堂「ファミリーコンピュータ」(ファミコン)。
7月 – バンダイが「Vectrex」を「コンピュータービジョン 光速船」として日本で発売。
光栄『信長の野望』 – 戦略シミュレーション最初期の作品。
エニックス『ポートピア連続殺人事件』(パソコン版)。堀井雄二の出世作(デビュー作ではない)。
シネマトロニクス『ドラゴンズレア』。世界初のレーザーディスクゲーム。ディズニーライクなアニメーションを採用していた。
セガ『アストロンベルト』。日本初のレーザーディスクゲーム。特撮映像を採用していた。
アタリ『スターウォーズ』。同名映画を題材としたベクタースキャン表示の主観視点奥スクロールシューティング。
アタリ『メジャーハボック』。シューティング、ジャンプアクションなど複数のジャンルを融合したベクタースキャンゲーム。シューティングパートにはハーフトップビュー (斜め見下ろし視点) を採用。
アタリ『I, Robot』。シューティングゲーム。商業用ゲームとしてリアルタイム3Dポリゴンを初めて採用。内容が斬新すぎたこともあり、商業的には大失敗に終わる。
パソコンにてコマンド入力方式のアドベンチャーゲームが流行する。
11月 – 大名マイコン学院『ポイボス』。日本製ロールプレイングゲーム。当時PC-8801やApple IIでしか出来なかったRPGを当時のPC機種(PC-8801、FM-7、X1、MZ系、パソピア7)多数に移植され、多くのPCユーザーにRPGのおもしろさを伝えた。しかし、商業的には成功しなかった。
ラショウ『ボコスカウォーズ』。シミュレーションRPGの先駆け。
『月刊ログイン』(アスキー)、『コンプティーク』(角川書店)創刊。パソコンゲームを中心としたゲーム情報を取り扱う。

1984年
1月 – ビーピーエス『ザ・ブラックオニキス』。半日本製ロールプレイングゲーム。アイディア等はアメリカ人2人によって考えられた。続編も作られた。
2月18日 – 任天堂『ワイルドガンマン』。ファミコン初のシューティングゲーム。
3月 – クリスタルソフト『夢幻の心臓』。『ウルティマ』のフィールドマップ移動と『ウィザードリィ』の対面戦闘をアレンジ融合した日本製ロールプレイングゲーム。
4月25日 – 『ビデオ・ゲーム・ミュージック』発売。日本初のゲームミュージックのサウンドトラックアルバム。
6月 – ナムコ『ドルアーガの塔』。アクションロールプレイングゲームの原点。リアルタイムの戦闘が新鮮で、今でも根強いファンが多く、その後の「ハイドライド」などに強い影響を与えた。
6月 – データイースト『空手道』。最初期の対戦格闘ゲーム。
6月 – アタリ「Atari 7800」。1986年にアタリコープから再発売。
6月21日 – 任天堂「ファミリーベーシック」。当時の8ビットパソコンにならって発売するがほとんど普及せず。
7月 – アタリのハードウェア部門がコモドールの創業者ジャック・トラミエルに買収される[4]。
7月17日 – エポック社「スーパーカセットビジョン」発売。しかしシェア争いに敗れ、エポック社はソフト交換式の家庭用ゲーム機から撤退することになった[10][24]。
7月20日[25] – ハドソン『ナッツ&ミルク』・『ロードランナー』。日本初のサードパーティーソフト。
8月 – ナムコ『パックランド』。ドットイートゲームとして開発されてきたパックマンシリーズとは異なり、純粋な横スクロールアクションゲームとして発表された。
9月28日 – ナムコが『パックマン』ROMの無断コピーを映画上映権の侵害として起こした訴訟について、東京地裁は『パックマン』が映画の著作物に該当すると判断。[26]
11月 – 日本ファルコム『ドラゴンスレイヤー』。アクションロールプレイングゲームの元祖と言われているが、それは誤りで実際は「インジケーター」と呼ばれる画面右下にある人の形をしたアイコンが左から右に移動している間にプレイヤーが行動する「時間制限のあるターン制」のロールプレイングゲームである。
12月13日 – T&E SOFT『ハイドライド』。アクションロールプレイングゲームで最初にアクティブロールプレイングゲームというジャンルで発売されたゲーム。発売以来ロングセラーを続け「ハイドライド・シンドローム」と呼ばれる一大ブームを巻き起こした。MSXロム版ではあまり普及していなかったデータレコーダや高価すぎて搭載できなかったバッテリーバックアップの代わりにパスワードを記録(セーブ)に初めて利用した。
12月21日 – アスキー『北海道連鎖殺人 オホーツクに消ゆ』。コマンド選択式を初めて採用したアドベンチャーゲーム。
テーカン『スターフォース』。地上・空中の撃ち分け無しの縦スクロールシューティングゲーム。
『Elite』。PC向けのワイヤフレーム3Dゲームとして最初期のもののひとつ。星々を巡って交易を行なうなど、広大な仮想世界の中での自由度の高いゲームプレイを実現。
Brøderbund『カラテカ』。ベルトスクロールアクションゲームの先駆け。
Brøderbund『The Ancient Art of War』。最初のリアルタイムストラテジー。
日本ソフトバンクが『Beep』を創刊。コンピュータゲームの総合雑誌。
マテルが電子事業部門を売却[4]。

1985年
2月 – ナムコがアタリの業務用ゲーム部門を子会社「アタリゲームス」とする[4]。
2月13日 – 日本で「風俗営業等の規制及び業務の適正化等に関する法律」(風俗営業法)が施行され、ゲームセンターの営業に際し、設置される遊技設備や施設形態によっては風俗営業の許可が必要になる。
4月11日 – イギリスでコモドール64用ゲーム雑誌『Zzap!64』が創刊される。
5月29日 – コナミ『グラディウス』。横スクロールシューティングゲームとして革新的であった。
6月20日 – ハドソン『スターフォース』。ゲームの全国大会「ハドソン全国キャラバン」で使用された、公式認定ソフト第一弾。
8月 – 徳間書店がファミリーコンピュータ専門雑誌『ファミリーコンピュータMagazine』を創刊。日本における家庭用ゲーム機専門雑誌の走り。
8月6日 – ナムコ『ドルアーガの塔』。ファミリーコンピュータ初のRPG。
9月13日 – 任天堂『スーパーマリオブラザーズ』。世界一の売り上げを誇るアクションゲーム。
10月 – セガ「セガ・マークIII」。
10月 – コモドール「Amiga 500」。ヨーロッパで人気を博したホビーパソコン[27]。
10月18日 – 任天堂がファミリーコンピュータの日本国外向け仕様である「Nintendo Entertainment System」をアメリカで発売。崩壊したアメリカの家庭用ゲーム機市場を回復させていく。
10月28日 – 日本ファルコム『ザナドゥ』。アクションロールプレイングゲームの名作。売り上げ40万本は当時のパソコンの普及台数の数割にあたる驚異的な数字で、日本国内のパソコンゲーム販売の不倒記録として今なお破られていない。
12月13日 – T&E SOFT『ハイドライドII SHINE OF DARKNESS』(MSX版)。最初にバッテリーバックアップを採用したゲームソフト。
12月20日 – ハドソン『ボンバーマン』。後にシリーズ化し、同社の看板タイトルとなる。
アートディンク『A列車で行こう』。街を育てるゲームのはしり。
『スーパーマリオブラザーズ完全攻略本』(徳間書店)が120万部のミリオンセラーとなり、書籍ベストセラーの1位となる。さらに翌1986年も1位となる。[28]
大宇電子「Zemmix」。MSXをベースに韓国で販売されたゲーム機のブランド。
アメリカの家庭用ゲーム機市場が1982年に比べて1割未満にまで縮小した[4]。

1986年
2月21日 – 任天堂「ファミリーコンピュータ ディスクシステム」。書き換え可能な「ディスクカード」が使用できるファミリーコンピュータの周辺機器。
2月21日 – 任天堂『ゼルダの伝説』。
4月 – 新声社がアーケードゲーム専門雑誌『ゲーメスト』創刊。
4月21日 – ブラザー工業がパソコンソフト自動販売機「ソフトベンダーTAKERU」の本サービスを開始。オンライン販売の先駆け。
5月27日 – エニックス『ドラゴンクエスト』。堀井雄二や中村光一などによって作られた日本製RPG。『ウルティマ』『ウィザードリィ』といった従来の人気作を巧みに消化しつつ独自性を出して、日本市場における大作シリーズとなる。
6月6日 – ゲーム雑誌『ファミコン通信』創刊。
6月13日 – ハドソン『スターソルジャー』。高橋名人に代表される名人ブーム・連射ブームの火付け役となる。
7月 – 映画『GAME KING 高橋名人VS毛利名人 激突!大決戦』公開。当時のファミコンブームの熱狂ぶりを物語る作品。
10月21日 – マカダミアソフトのアダルトゲーム『177』が衆議院決算委員会で有害ソフトとして取り上げられる。
12月10日 – タイトー『たけしの挑戦状』。
12月10日 – ナムコ『プロ野球ファミリースタジアム』。「ファミスタ」と呼ばれる野球ゲーム。後発の野球ゲームもこのソフトの操作方法を踏襲したものになる。
12月20日 – セガ『ファンタシースター』。中裕司や大島直人、林田浩太郎、小玉理恵子などによって作られた日本製RPG。SFとファンタジーの融合、フルアニメーションで動く敵キャラクター、FM音源対応BGM等の独自性を出して、セガにおける大作シリーズとなる。
ファミリーコンピュータのライセンスを取得しないソフト(同人ソフト、当時は裏ソフトと呼ばれていた)において、性的描写の濃厚なソフトが市場に多く出回ったため、警察やPTAなど市民団体が任天堂にクレームを集中させた。そのことにより、任天堂は、非ライセンスソフトの市場からの締め出しを実行し、裏ソフトの撲滅に成功する。
社団法人日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協、後のコンピュータソフトウェア協会)が発足。会長は孫正義。

1987年
1月26日 – エニックス『ドラゴンクエストII 悪霊の神々』。前作の人気を受けて発売前から大きな話題を呼び、発売日には全国の販売店に本作を求めて行列するファンの姿も多く見られた。こうした熱狂は一部のマニアだけのものではない社会現象として多くのマスメディアで取り上げられ、それまで単なるおもちゃとしか見られていなかったテレビゲームに一般の関心を集める役割を果たした。その一方で、本作を買い求めるために学生が学校を休むことや、売れないソフトなどを本作と一緒に販売する抱き合わせ商法が問題となった。
6月21日 – 日本ファルコム『イース』。理不尽な謎と高い難易度の作品ばかりだった当時のPCゲーム市場で、絶妙なゲームバランスを売りにヒットした。
7月13日 – コナミ『メタルギア』。ステルスゲームを広く普及させた作品とされる。後年『メタルギアソリッド』シリーズとして世界的に有名となる。
9月11日 – ナムコ『デジタル・デビル物語 女神転生』。後の『女神転生シリーズ』にも多く受け継がれることになる「仲魔」、「悪魔合体」などの独特のシステムや世界観を持つ3DRPG。開発は後にシリーズを自社販売することになるアトラス。
10月26日 – ハドソン『桃太郎伝説』。同社では初のRPG。以後シリーズ化。
10月30日 – NECホームエレクトロニクス「PCエンジン」。CPUの処理速度、グラフィックの美しさや迫力のあるサウンドなど、当時の常識を覆す高速・高性能を実現した。
11月21日 – T&E SOFT『ハイドライド3 THE SPACE MEMORIES』。ゲーム内に仮想世界を構築するために時間の概念、重さの概念、食事・睡眠の概念、貨幣の概念など革新的な要素を取り入れた アクションロールプレイングゲーム。
12月18日 – スクウェア『ファイナルファンタジー』。スクウェア社の最後の作品となる予定だったソフトなので「ファイナル」と銘打たれたが、ヒット作となって後には世界的にも有名なシリーズとなり、同社は存続された。
ケスマイ『エア・ウォーリア』。娯楽用としては世界初のオンライン・フライトシミュレーションゲーム。運営会社が運用するサーバに接続してプレイするタイプであり、最初期のMMOゲームとも言える。日本では富士通により1992年から数年間に渡って運用された。
シャープ「X68000」。優れたAV能力によって業務用ゲームの高度な移植を可能とし、基板のセルフチェック動作までも再現する“完全移植”の概念を後に定着させたパソコン。
ドイツのメーカーRainbow Arts『The Great Giana Sisters』(日本未発売)。あからさまな『スーパーマリオブラザーズ』の盗作でかつ同作を挑発するキャッチコピーだったため任天堂から訴訟が起きて発禁処分となる。後年、このゲームの開発者が欧米ゲーム市場における重鎮となったことから、欧米において伝説的なカルトゲームとなる。

1988年
2月10日 – エニックス『ドラゴンクエストIII そして伝説へ…』。これを買うために発売日に子供が学校を休み、また恐喝の被害が出るなど、社会問題となった。
3月18日 – 光栄『信長の野望 全国版』。当時としても高額の9800円という価格設定。このソフトの発売を皮切りに、PSやSSのCD-ROM時代になるまで、1万円を超えるソフトが発売されるようになった。
10月23日 – 任天堂『スーパーマリオブラザーズ3』。
10月29日 – セガ「メガドライブ」。日本での売り上げはそこそこだったが、海外市場では日本市場を超える程の売り上げを達成している。
12月2日 – ハドソン『桃太郎電鉄』。同社のRPG『桃太郎伝説』のスピンアウト作品であるボードゲーム。以後シリーズ化し、同社の看板タイトルの1つになる。
12月4日 – NECホームエレクトロニクス「CD-ROM2」。世界初となるCD-ROMを媒体として採用した家庭用ゲーム機。PCエンジンの周辺機器。
12月4日 – ハドソン『ファイティング・ストリート』と『No・Ri・Ko』。世界初のCD-ROMを媒体として用いたゲームソフト。
12月17日 – スクウェア『ファイナルファンタジーII』。
12月22日 – ビーピーエス『テトリス』。これにより、日本でテトリスブームが起こる。以後、落ち物パズルがジャンルの1つとして定着する。
Game Developers Conference(GDC)の第1回(当時はComputer Game Developers Conferenceと呼称)がクリス・クロフォードの自宅(米国カリフォルニア州サンノゼ)で開催される。
米任天堂(Nintendo of America)がゲーム雑誌『Nintendo Power』を創刊。

1989年
3月21日 – セガ『ファンタシースターII 還らざる時の終わりに』。
4月21日 – 任天堂「ゲームボーイ」。別途ゲームソフトを購入して利用するタイプの携帯型ゲーム機としては、エポック社「ゲームポケコン」に次いで2機種目。
6月30日 – ハドソン『天外魔境 ZIRIA』。世界初のCD-ROMを媒体として用いたRPG。CD音源による当時の家庭用ゲーム機の音源では到底奏でることのできない音楽と音声による演出がされ、CD-ROMによる新しいゲームの幕開けとなった。
8月27日 – 任天堂『MOTHER』。
マクシス『シムシティ』。
Brøderbund『プリンス・オブ・ペルシャ』。ロトスコープによって製作されたプレイヤーキャラクターのリアルで滑らかなアニメーションが特徴[29]。
9月15日 – ハドソン『スーパー桃太郎電鉄』。お邪魔キャラクター「貧乏神」や様々な効果を発生させるアイテム「カード」が初登場し、現在のシリーズ作品のゲームシステムの基礎を構築した。
10月 – アタリコープ「Atari Lynx」。
12月 – カプコン『ファイナルファイト』。
12月15日 – コナミ『グラディウスIII -伝説から神話へ-』。グラディウスシリーズ中難易度が高い事で有名であった。
12月15日 – スクウェア『魔界塔士Sa・Ga』。ゲームボーイ初のRPG。スクウェア初のミリオンセラー作品でもある。

1990年
2月11日 – エニックス『ドラゴンクエストIV 導かれし者たち』。
4月1日 – ナムコが国際花と緑の博覧会に『ギャラクシアン3』を出展。 当時の最高水準の技術で、28人同時プレイの体感ゲームとして過去にない壮大なゲームとなった。閉幕後はナムコ・ワンダーエッグに移設。2000年末に廃棄された。
4月21日 – セガ『時の継承者 ファンタシースターIII』
4月27日 – スクウェア『ファイナルファンタジーIII』。
6月 – セガ『コラムス』発売。初めて連鎖というシステムを組み込んだ落ち物パズル。
9月 – アムストラッド「GX4000」。イギリスで発売されるが商業的に失敗。
10月6日 – セガ「ゲームギア」。日本国産初、カラー液晶を搭載したカートリッジ交換式携帯ゲーム機。
11月21日 – 任天堂「スーパーファミコン」。ファミリーコンピュータの後継機。『スーパーマリオワールド』も同時発売された。
SNK(旧社)「ネオジオ」。家庭でゲームセンターのゲームができるといううたい文句だった。当初はレンタル機として提供された。
12月 – コモドール「Commodore 64 Games System」。コモドール64をゲーム機としてデザインし直したものだが商業的に失敗。
12月1日 – NECホームエレクトロニクス「PCエンジンGT」。世界初となる据え置き型ゲーム機との互換性がある携帯型ゲーム機。
12月7日 – ハドソン『ボンバーマン』(PCエンジン)。シリーズで初めてプレイヤー5人での対戦が可能になった作品であり、バトルゲームの提案を始めシリーズの発展に大きな貢献をした藤原茂樹が初めて関わったシリーズタイトルでもある。
アタリゲームズ『ピットファイター』。実写取り込みのキャラクターによる対戦型格闘ゲーム。

1991年
3月 – AOL『Neverwinter Nights』。世界初のグラフィカルMMORPG。インターネットが未発達の時代であり、AOLのパソコン通信サービス上で運用された。
3月 – カプコン『ストリートファイターII』。社会現象にもなり、対戦型格闘ゲームをジャンルの1つとして定着させた。
4月 – ハドソンがコンピュータプログラマー、デザイナーの養成を目的に「ハドソンコンピュータデザイナーズスクール株式会社」を設立・開校。
4月20日 – バンプレスト『スーパーロボット大戦』。スーパーロボット大戦シリーズの始まり。
7月1日 – 「ネオジオ」の一般販売が始まる[30]。
7月12日 – 『ファミコン通信』が週刊化される。
7月19日 – スクウェア『ファイナルファンタジーIV』。
6月23日(日本では7月26日) – セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』。日本ではそこそこの売上だったが、海外では爆発的ヒットを記録。これとサードパーティーの囲い込み成功のため、海外での「メガドライブ(海外名称ジェネシス)」のシェアを「スーパーファミコン(海外名称SNES)」に対抗しうるまで持ち上げる。
10月25日 – コンパイル『ぷよぷよ』。翌年アーケードゲームに移植され、落ち物パズルの対戦のはしりとなる。
11月25日 – X指定(フェアリーテール)のアダルトゲーム『沙織 -美少女達の館-』を中学生が万引きした事件に端を発し、『沙織』発売元等関係各社を京都府警が家宅捜索(沙織事件)。コンピュータソフトウェア倫理機構設立のきっかけとなる。
12月 – フィリップスがCD-iプレイヤーを発売。
12月12日 – セガ「メガCD」。
12月13日 – NECホームエレクトロニクス「SUPER CD-ROM2」。
12月20日 – ハドソン『スーパー桃太郎電鉄II』。シリーズで初めてキングボンビー、ミニボンビーが登場した作品。
任天堂が日本で小売店のフランチャイズ制度「任天堂エンターテイメントショップ」を開始。これに加盟した小売店は任天堂機の人気ソフトが優先的に供給された。[31]

1992年
1月9日 – 任天堂とフィリップスがスーパーファミコンの周辺機器「スーパーファミコンCD-ROMアダプタ」を1993年に発売予定にすると発表するもお蔵入りに(この企画にはソニーも加わっており、スーパーファミコンとCD-ROMアダプタの一体型のマルチメディアマシン「PlayStation」も発売する予定だった(後述のPlayStationとは別物))。
2月28日 – 公正取引委員会がゲームソフト卸売会社藤田屋に対し、『ドラゴンクエストIV』の抱き合わせ販売について独禁法違反として排除措置命令を審決(藤田屋事件)。[32]
3月7日 – チュンソフト『弟切草』。アドベンチャーゲームの一形式としてサウンドノベルを創始。
3月26日 – ハドソン『天外魔境II 卍MARU』。CD-ROM媒体によるRPG。
4月 – 家庭用コンピュータゲーム販売チェーン各社の団体であるジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)が設立される。
4月1日 – 日本パーソナルコンピュータソフトウェア協会(パソ協)がゲームタイトルに性的描写の存在する旨を伝える「18禁シール」を製作、販売。
4月13日 – アメリカの発明家ジャン・コイルがセガを相手取り提起していた特許侵害訴訟で、セガに43億円(当時)の支払いを命ずる判決が下る。[33]
4月27日 – 任天堂『星のカービィ』。後に大乱闘スマッシュブラザーズシリーズ等を手がける桜井政博のデビュー作。
5月5日(日本では1994年) – id Software『ウルフェンシュタイン 3D』(「DOS」用ソフト)。世界初のファーストパーソン・シューティングゲーム(FPS)とされる。
5月21日 – 「Nintendo Entertainment System」用チートシステム「ゲームジニー」を巡って争われた「Galoob vs. Nintendo」について、アメリカの合衆国控訴裁判所はゲームジニーが著作権を侵害していないとの判断を下す。[34]
6月26日 – ゲームアーツ『LUNAR ザ・シルバースター』
8月25日 – 日本のアダルトゲーム制作各社により、アダルトゲームを中心としたコンピュータソフトのレイティング団体、コンピュータソフトウェア倫理機構(EOCS、ソフ倫)が設立される。
8月27日 – 任天堂『スーパーマリオカート』。日本におけるスーパーファミコン用ソフトとして売上本数最高記録となる。
9月27日 – エニックス『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』。
10月30日 – アトラス『真・女神転生』。『女神転生シリーズ』としては同社初の自社販売ソフト。多数のハードに移植され、後に同社の看板シリーズとなる。
11月21日 – セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ2』。
12月6日 – スクウェア『ファイナルファンタジーV』。
12月11日 – ハドソン『ボンバーマン’93』。シリーズで初めてNPCを交えた対戦プレイが可能。
12月17日 – エルフ『同級生』。恋愛アドベンチャーゲームの草分けであり、ストーリー重視のアダルトゲームの草分けでもある。
ミッドウェイ『モータル・コンバット』。実写取り込みのキャラクターによる対戦型格闘ゲームで、身体の切断や出血といった残虐な描写が特徴。

1993年
1月29日 – ゲームアーツ『ゆみみみっくす』。CD-ROM媒体をフル活用したインタラクティブコミック。
2月16日 – 富士通「FM TOWNS マーティー」。パソコン「FM TOWNS」をゲーム機型に簡素化し普及を狙ったが失敗した。世界初の32bit CPU搭載ゲーム機とも言える。
4月28日 – ハドソン『スーパーボンバーマン』。スーパーファミコン初のボンバーマンシリーズ作品。
7月 – ハドソン『HI-TEN ボンバーマン』。世界初のハイビジョンゲーム[35]。
8月20日 – パイオニア「レーザーアクティブ」。PCエンジンまたはメガドライブに対応した拡張パックを組み合わせることでレーザーディスクベースの専用ゲームをプレイできるレーザーディスクプレイヤー。
9月17日 – コモドール「Amiga CD32」。欧米圏で最初に32bit CPUを搭載したゲーム機。
9月23日 – セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグCD』。CD-ROM媒体による超音速アクションゲーム。
10月7日 – ナムコ『リッジレーサー』。アーケード用としては初めてテクスチャマッピングを施したポリゴン表示を実用化。
11月23日 – アタリコープ「Atari Jaguar」[36](日本では1994年12月8日発売[37])。1995年9月21日には外付けCD-ROMドライブ「Atari Jaguar CD」が発売されたが[38]商業的に失敗し、これを最後にアタリはハードウェア事業から四半世紀に渡り遠ざかる。
12月1日 – 任天堂「ニューファミコン」。ファミコン発売10周年を機にリニューアル。
12月10日 – id Software『DOOM』。FPS(ファーストパーソン・シューティングゲーム)が一躍メジャージャンルになるとともに、後の同ジャンルに多大な影響を与える。
12月17日 – セガ『ファンタシースター 千年紀の終りに』。
12月 – セガ『バーチャファイター』。世界初の3D格闘ゲームとして大ヒット。シリーズ化もされ第5作が稼働中。
日本国内での家庭用ゲームソフトの流通において、過剰在庫に起因する小売価格の暴落が頻発するようになる。[39]

1994年
日本において、ハードメーカー各社から相次いで新機種が登場。次世代機戦争などと言われた。この頃になるとニュースなどでもゲームの話題が取り上げられるようになる。
3月 – 松下電器「3DO REAL」。
3月11日 – コナミ『実況パワフルプロ野球’94』。
3月12日 – NECホームエレクトロニクス「アーケードカード」。PCエンジン用周辺機器。
4月2日 – スクウェア『ファイナルファンタジーVI』。
4月23日 – セガ『ヘブンリーシンフォニー』。CD-ROM媒体によるレースシミュレーションゲーム。
4月29日 – コモドールが倒産。
5月27日 – セガ『ソニック・ザ・ヘッジホッグ3』。
5月27日 – コナミ『ときめきメモリアル』。恋愛シミュレーションゲームの走り。
6月14日 – 任天堂「スーパーゲームボーイ」。スーパーファミコンでゲームボーイのソフトをプレイするための拡張機器。
8月 – エス・エヌ・ケイ『ザ・キング・オブ・ファイターズ’94』。
9月 – セガがセガユナイテッドを設立。日本国内において「セガサターン」のハードとソフトを専門に扱う販売会社であり、一次問屋の機能を持つとともに大手ゲーム販売専門店との直接取引を行った。これによりセガは日本国内での販売店舗数を急拡大することに成功したが、CD-ROMの生産設備を所有しなかったため、CD-ROMの特性を生かした柔軟な生産調整を行うことはできなかった。[39]
9月9日 – エス・エヌ・ケイ「ネオジオCD」。
9月23日 – 光栄『アンジェリーク』。女性向け恋愛ゲーム(乙女ゲーム)の草分け。
10月18日 – セガ『ソニック&ナックルズ』。他のメガドライブ用ゲームカセットを差し込むロックオンカートリッジを採用。
11月22日 – セガ「セガサターン」。同時発売としてビクターVサターン・日立Hiサターンがある。
11月24日(日本では11月26日) – 任天堂『スーパードンキーコング』。
11月下旬 – セガ『バーチャファイター2』稼動。新たな3D対戦格闘ゲームの幕開けとなった。
12月3日 – セガ「スーパー32X」、ソニー・コンピュータエンタテインメント「PlayStation」。
12月23日 – NECホームエレクトロニクス「PC-FX」。
12月 – ナムコ『鉄拳』。バーチャファイターに次ぐ3D格闘ゲームとしてシリーズ化されロングヒットを記録。
エンターテインメントソフトウェアレイティング委員会(ESRB)が設立される。米国およびカナダにおけるコンピュータゲームのレイティングなどの審査を行う団体。

1995年
スーパーファミコン用ソフトが大容量化により価格が高騰。1万円を越えるソフトが珍しくなかった。
Electronic Entertainment Expo(E3)の第1回が米国のロサンゼルスで開催される。
3月11日 – スクウェア『クロノ・トリガー』。
4月28日 – ハドソン『スーパーボンバーマン3』。
7月21日 – 任天堂「バーチャルボーイ」。サードパーティーがつかず、半年で新作ゲームソフトの発売が途絶える。同ゲーム機開発者の一人である横井軍平はその後、任天堂を自主退社してコトを設立。「ワンダースワン」の開発に携わる。
8月25日 – マイクロソフトがパソコン用OS『Windows 95』を発売。以後、Windowsがパソコン用OSのデファクトスタンダードとなる。
9月30日 – マイクロソフトがWindowsにおけるゲーム用APIであるDirectXのバージョン1.0をリリース[40]。
11月1日 – 任天堂、セントギガのBS放送を利用してスーパーファミコン向けデータ配信事業である衛星データ放送を開始、専用周辺機器「サテラビュー」を販売。
12月9日 – エニックス『ドラゴンクエストVI 幻の大地』。
12月15日 – ナムコ『テイルズ オブ ファンタジア』。
12月22日 – ハドソン『天外魔境ZERO』。スーパーファミコンで初めて、ゲームカートリッジ内に時計・カレンダーを内蔵し、ゲーム内のイベントを現実世界の日付・時間と密接に関連させるシステム「PLGS(Personal Live Game System)」を搭載。
12月22日 – 『ファミコン通信』の誌名が『ファミ通』に変更される。

1996年
スクウェアが『ファイナルファンタジーVII』をPlayStationで発売することを発表。スクウェアが任天堂との決別を公言する。これをきっかけに、SCEIと任天堂との力関係が逆転する。
コンピュータエンターテインメント協会(CESA)が発足。
1月26日 – Leaf『雫』。アドベンチャーゲームの一形式としてビジュアルノベルを創始。
2月 – スクウェアが子会社デジキューブを設立。日本でのコンビニエンスストアにおけるゲームソフトの販売のはじまりであり、一次問屋としてのソニー・コンピュータエンタテインメントを介さない新たなゲームソフト流通網を構築する試みであった。[39]
2月27日 – 任天堂『ポケットモンスター 赤・緑』。衰退しつつあったゲームボーイ市場が本ソフトの登場により復活する。また、ゲームは綺麗なグラフィックでなければならないという概念が形成されつつあったのを吹き飛ばす。
3月1日 – ハドソン『鮫亀』。サテラビュー対応ソフトで、スーパーファミコン史上初の「ダブルカセット方式」[41]を実現。
3月22日 – カプコン『バイオハザード』。世界的にヒットしてホラーゲームを浸透させる。
3月28日 – バンダイ「ピピンアットマーク」。
4月 – コナミを先駆けとして、大手サードパーティーが日本国内でゲームソフトの自主流通(小売店への直接販売)を開始する[39]。
6月23日 – 任天堂「NINTENDO64」。3Dスティックによるアナログ入力や、コントローラの振動機能を普及させる。
7月19日 – ハドソン『サターンボンバーマン』。シリーズで初めて家庭用に10人同時対戦を実現した他、シリーズ初の段位認定モード「マスターゲーム」を搭載。
7月21日 – 任天堂「ゲームボーイポケット」。従来のゲームボーイを小型化したもの。
8月9日 – エコールソフトウェア『デスクリムゾン』。インターネットを中心にムーブメントの起こったカルトゲームの先駆け。以後10年以上ファンイベントが行われている。
8月22日~24日 – 第1回東京ゲームショウである東京ゲームショウ’96が東京ビッグサイトで開催される。
9月 – 3DO『Meridian 59』。世界初のインターネットベースの本格的商用MMORPG。3D描画を採用していた。プラットフォームはWindows。
9月 – Imagine Mediaが『Imagine Games Network』として自社のゲーム雑誌別に5つのウェブサイトを開設。これが1998年に『IGN』ブランドの下で再編・統合される。
11月23日 – バンダイ「たまごっち」。発売後、社会現象にもなった。
12月6日 – ソニー・コンピュータエンタテインメント『パラッパラッパー』、『クラッシュ・バンディクー』。
インターチャネル『センチメンタルグラフティ』の発売を発表。ゲームそのものは1998年発売となるものの、膨大な量のグッズとイベントなど関連情報を大量発信するスタイルを行い、本編のゲームが無いのにヒット作という評価となる。
日本におけるPlayStation用ソフトの販売契約方法(再販価格維持、中古品売買禁止、同業他社への在庫転売禁止)をめぐり、独占禁止法違反容疑が浮上[39]。ソニーを支持するか否かについてジャパンテレビゲームチェーン協会(JAG)加盟のフランチャイズチェーン間で対立が生じ、JAGは協調派のテレビゲームビジネス協議会と徹底抗戦派のテレビゲームソフトウェア流通協会(ARTS)に分裂した。
任天堂が問屋団体「初心会」を解散させ「一心会」に再編する流通改革を実施。二次問屋の排除が試みられた[39]。

1997年
1月14日 – ハドソン『天外魔境 第四の黙示録』。映画を操るような感覚でストーリーが展開するという独特のアプローチで宣伝がなされた。松竹系劇場で映画のチラシに混じって本作のチラシも配布されていた上、デザインも映画のチラシと同じ体裁となっていた[42]。
1月14日 – エニックスも『ドラゴンクエストVII』をPlayStationで発売することを発表。
1月31日 – スクウェア『ファイナルファンタジーVII』。それまでのRPGの常識を覆したフルポリゴンRPG。PlayStationで発売されたことによって、それまで売り上げが均衡していたセガサターンとの差を大きく開くきっかけとなった。
『ファイナルファンタジーVII』により「PlayStation」が次世代ハード戦争の覇者となる。また、同作品のようにフルポリゴン化された画面やCGムービーの挿入など高度な画像処理を前面に押し出し、ストーリー性などにも力を注いだた「重厚長大」な作品が人気となる。
2月28日 – ハドソン『スーパーボンバーマン5』。スーパーファミコンにおけるボンバーマンシリーズ最終作。
9月24日 – オリジン・システムズ『ウルティマオンライン』。MMORPGとして初めての大ヒット作。
9月30日 – ローソンと任天堂が日本国内のローソン店頭でのゲームソフトデータ販売サービス「ニンテンドウパワー」を開始。当初はスーパーファミコン用ソフトがサービス対象、2000年3月1日にはゲームボーイソフトも対象に。
10月 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが日本の小売店の不良在庫となったゲームソフト約200タイトル(70万本)を1本あたり2000円で回収する。ソニーが家庭用ゲーム機ビジネスに参入するにあたって日本において構築した流通システムが機能不全を起こしていることを示す出来事であった。[39]
11月 – ソニー・コンピュータエンタテインメントが従来小売店に課していたPlayStation用ソフトの値引き販売禁止政策が消滅し値引き販売が一般的になる。[43]
12月 – コナミ『beatmania』。音楽ゲームの先駆け。
セガとバンダイが合併し、新社名をセガバンダイとすると発表。しかし、後にこの計画は解消された。
セガがセガ・ユナイテッドをムーミン(問屋)と合併しセガ・ミューズへ再編。ソニー・コンピュータエンタテインメントの流通システムに倣い小売店への直販化やソフトのリピート発注の迅速化を行う流通改革を行った。[39][44]
任天堂系問屋団体「一心会」が解散する。[39]
12月18日 – ハドソン「てくてくエンジェル」。世界初の育成散歩計[45]。ゲーム付き歩数計市場を構築するきっかけとなった。以後シリーズ化。

 

今日はここまで

byマリオオタク